月別アーカイブ: 1月 2017

「ぐるぐる循環ネットワーク」結成記念シンポジウム報告

1月29日(日)、こどもみらい館にて、「ぐるぐる循環ネットワーク」結成記念シンポジウムが開催されました。これは、昨年1月末に行われた「中京区経済問題懇談会」を起点に、地域のつながりを強めて地域循環型の経済社会を実現していこうと、1年間かけて結成を準備してきたものです。

  岡田知弘教授から基調報告

京都大学大学院経済学研究科教授の岡田知弘さんが基調報告を行いました。
岡田さんは、「資本の活動領域としての地域」が地球規模で広がることで「人間の生活領域としての地域」と乖離してしまっていること、農地や山が手入れされずに荒廃してしまうことが水害や土砂崩れなどの災害を招いていること、地元の中小企業、地方自治体などが主体となって、おカネの循環、モノ・サービス・エネルギーの循環をつくっていく必要があることを指摘、地方自治体は住民福祉の向上のためにこそ存在することを強調しつつ、大分県の由布院や長野県の栄村など、先進的な自治体の事例を紹介しました。

4人のシンポジストから報告

続いて、4人のシンポジストから報告を受けました。

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●エネルギーの自給
「NPO法人 市民共同発電をひろげる城陽の会」の杉浦喜代一さんは、「福島原発事故をきっかけに『原発ゼロの会』を立ち上げたが、原発なしでどうするのかという疑問に答えようと、自分たちで発電する取り組みを始めた。太陽光パネルをつけたいという人の背中を押したり、再生エネルギーや節電についての情報提供をしたりしている」と報告しました。

●景観・まちづくり
モスグリーン・スタジオ(新町通三条下る)の井上成哉さんは、「15年ほど前、自宅裏に13階のマンションが建つという問題があり、そのときたまたま町内会長だったこともあって、明倫自治連のまちづくり委員会に参加するようになった。景観協議会というものもつくっている。自治会というのは行政の下請けのような性格が強かったと思うが、住民が自分たちで地域の問題を解決していくというあり方をつくっていく必要があると思う」と述べました。

●子どもの貧困
小学校養護教諭の平井みどりさんは、「コミュニケーションがうまくとれず、保健室に登校してくる子どもたちの背景を探ると、保護者が離婚するなどして、親が子どもときちんと関われていないとか、貧困だとかの問題が見えてくる。何とかしたいとは思うが、一職員としてはなかなか踏み込めない。京都市は電子黒板などモノにはお金をかけるが、養護教員の増員だとかスクールカウンセラーの充実など人の配置におカネをかけてほしい」と訴えました。

●商店街
三条商店街・馬場商店の馬場雅規さんは「一昨年のプレミアム商品券について、商店街としては地域の小売店だけで使えるものにしてほしいと強く要望したが、結局、大規模な店舗でも使えるものになってしまい、大半がスーパーや大型店で使われたのではないか。40億の補助金を地域でぐるぐる循環させる仕組みがつくれたはずなのに、東京や大阪に流出しただけで終わってしまった」と報告しました。

報告を受けて活発に討論

岡田さんからの基調報告、各シンポジストからの報告を受けて、会場からの発言も交えて討論が行われました。
コーディネーター役の岡田さんから「エネルギー自給ということで、中京区ではどんなことが考えられるか」と問われた杉浦さんは、「太陽光パネルはどこでも設置できる。また、ペレットストーブというものもある。中東から運んできた石油よりは旧京北町のペレットを燃やすほうがよい」と答えました。
このほか、会場からも、子どもたちの放課後のあり方やマンション住民と町内界との関係についてなどについての質問が出され、活発な討論が行われました。

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岡田さんからまとめの発言

討論を受けて、コーディネーターの岡田さんが「産業だけでなく、子ども、エネルギー、新旧住民の関係など、様々な視点から問題が提起され、中京区のこれからを考えていく上で、視野を広げる良いきっかけになったのではないか。中京区は狭い地域だが、多様な生活・歴史を持っている。足元を調べながら情報を発信していくのはワクワクする取り組み。ぐるぐる循環ネットワークの今後の活動が楽しみ」と述べました。

今後の取り組みについて

最後に「ぐるぐる循環ネットワーク」の呼びかけ人である原田完府会議員より、ここれからの活動について提案が行われました。
今後、様々な講師を招いての定期的な学習会を行っていくこと、中京区にある様々な「お宝」を発掘していく取り組みを行っていくこと、2020年の京都市長選挙に向けて地域振興政策を提案していくこと等を確認しました。

*シンポジウムの詳しい内容については、2月中に報告集を作成する予定です。

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「ぐるぐる循環ネットワーク」結成記念シンポジウムを開催

 OLYMPUS DIGITAL CAMERA 1月29日(日)、こどもみらい館にて、「ぐるぐる循環ネットワーク」設立記念シンポジウムが開催されました。
 京都大学大学院経済学研究科教授の岡田知弘さんが基調報告を行い、「NPO法人 市民共同発電をひろげる城陽の会」の杉浦喜代一さん、モスグリーンスタジオの井上成哉さん、小学校養護教諭の平井みどりさん、三条商店街・馬場商店の馬場雅規さんからの報告を受けて、会場も交えて活発な討論が行われました。
 今後の活動として、様々な講師をを招いての定期的な学習会を行っていくこと、中京区にある様々な「お宝」を発掘していく取り組みを行っていくこと等を確認しました(シンポジウムのより詳しい内容については、明日以降に掲載します)。

婚活パーティー参加者募集!

2月17日(金)19時半から西院の「珈琲専門店トゥールビヨン」にて開催されます。右京民商と中京民商との合同企画です!本気で結婚を考えている方に是非とも参加して頂きたいと思います。

お申し込みは、右京民主商工会075-312-2257、中京民主商工会075-231-0101、中右京婚活実行委員会まで。

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1・26中小業者国会総行動

1月26日(木)に「1・26全中連国会総行動」が行われ、中京民商では事務局員の山元が参加しましたので報告します。

 

京都代表団は西村京商連副会長を団長に池田京商連事務局長を含め15人が朝の京都駅に集まり、団結式をしてから新幹線で東京へ向かいました。13時からの国会請願デモに参加するため日比谷公園で待機していると全国さまざまな民商団体が続々と集結し、のぼりや旗がひしめき合い、参加者の士気が上がってきたように感じました。

デモは国会議事堂の南側から議員会館前の道を北上し、地下鉄永田町駅付近で解散となりました。その後は京都選出国会議員への要請行動のため2班に分かれて議員会館へ。空港並みのセキュリティーチェックや綺麗な建物に驚きました。私の班は衆議院第2議員会館の担当だったのですが、議員の方になかなかお会いできず、ほとんどが秘書の方に要請書を渡す形になってしまったのが残念に思いました。

国会前集会が15時から始まり、議員会館前の歩道から参加して解散となりました。

初めての経験ばかりでしたが、移動中に他民商の会員さんや事務局員の方と、お互いの地域や活動の話などで盛り上がり交流が深まったことがとても嬉しく思いました。また、会員さんから預かった署名を無事に届けられたこと、中小業者の要求や思いをシュプレヒコールにのせてみんなで訴えることができたので良い経験ができたと思っています。

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「ぐる循ネット」でお世話になっている自治問研さんから案内を頂きました!

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学習集会「京都小学校校舎の歴史と学区」パート2開催のお知らせ

 厳寒の候、皆様にはおかわりなくお過ごしのこととお喜び申し上げます。
 さて、昨年11月19日に開催しました京都まちづくりシンポジウム「学校跡地を地域の居場所に」を開催しましたところ、大変好評をいただき、多くの感想が寄せられ、大場先生のお話のつづきを聞きたいとのご要望がありました。
 つきましては、次の通り学習集会パート2を開催します。 ご多忙とは存じますが、ぜひお越し頂きますようご案内いたします。

講 演 「京都市旧番組小学校コンクリート校舎の形成過程」(仮題)
講 師 大場修 京都府立大学大学院教授
 
日 時 2月12日(日) 13:30~16:30
場 所 京都教育文化センター301号室
資料代 300円
 
主 催 京都教育センター     ☎ 075-752-1081
 京都自治体問題研究所 ☎ 075-241-0781



1/29の「ぐる循ネット」シンポもよろしくお願いします!!
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商売を語る会――馬場青年部長が語る鰻屋4代目のユメとキボウ(下)

事業継承を決意

 そんななかで、馬場商店を継ごうかな、と思うに至ったきっかけは、親の病気でした。母さんの足が動きにくくなった、ということを聞きまして、実家に帰ってきたのが2004年のことです。とはいえ、家にいても給料が出るわけでもなく、ぶらぶらしていてもしょうがない、ということで、パソコンの設定作業をやる会社の下請けのようなアルバイトをしたりしていました。きちんと馬場商店を継ぐために修行しよう、と決意したのは2009年のことで、2011年には中京民商の青年部にも入りました。それまでは民商のことなどほとんど知りませんでしたね。親が何かやっているな、というような感じはありましたけれど。
 事業継承は決意したものの、父さんはまだ健在で店を切り盛りしていますから、店の経理など諸々のことを任されたわけではありません。状況が大きく変わったのは、2016年の1月、父が急に20日間入院したことです。それまでは市場にも行ったことがなかったんですが、必然的に自分が行かなければならなくなりました。そうしたなかで、こういう商品をこうやって仕入れていたんだな、とか、店の経営の内情に関わる色んなことが段々と分かってきました。

自分なりの工夫で売上を伸ばす

 そんななかで自分なりにも色々な工夫を重ねて、少しずつ売上を伸ばしてきている、という自負はあります。水産組合の青年部にも入りまして、魚屋に鰻の蒲焼や弁当を卸す、といったことも始めました。1年目で90万円くらい、2年目で100万円くらいの売上をあげました。これまで馬場商店がやったことがなかったことですから、それだけ確実に売上を伸ばしているといえます。
 また、私はケーキ屋で働いていたこともあって、商品の見せ方ということにこだわりがあります。父さんはそんなことはあまり気にしない。だから、父さんの商品の並べ方とか、正直いって、結構腹が立つ部分はありますね。だから自分でまた並べ替えたりしています。傍から見ていると、父親が並べたものを息子がまた全部並べ直している……何をやってるんだ、この親子は!? ということになるかもしれませんが。でも、商品の並べ方というのは、やっぱりとても大切なことだと思います。その効果は、景気が悪いからこそ良く分かる、という面があると感じています。景気が良かった昔は、とにかくつくれば売れた時代だと思うんですね。だから、商品をどう見せるかということよりも、とにかく頑張って商品をつくることの方が大事だった。今は、つくったものをどうやって売るかが問題になる時代。同じ商品でも、置く場所や角度の違いで売れたり売れなかったりする。そういうことは確実にありますから、工夫を重ねていきたいと思います。

これからの展望

 それから、たまたま知り合いになった越前屋俵太さんとのつながりで、佐々木酒造で行われる日本酒飲み放題のイベントで鰻を焼いて売るということもさせてもらいました。今度、市役所前広場で行われる京野菜関連のイベントでも、鰻を焼かせてもらうことになっています。こんなふうに、いろんなイベントに出かけていって鰻を焼いて、馬場商店の名前を広げていければ、と思っています。
 去年の9月からは、立ち飲みを始めました。現在は月1回のペースですが、後々は、月2回、3回、4回……とやるようにしていきたいと思っています。とにかく、身体はまだまだ丈夫だと思うので、積極的に外に向かって打って出るようなことをして、馬場商店の名前を広めていきたいです。
 2018年あたりには、店を改装したいとも考えています。現在のお店は、昭和60年(1985年)に改装したもので、おそらくは清潔感を狙ってのタイル張りになっています。しかし、タイル張りだと歳月が立つとかえって綺麗に見えなくなってくるということがあります。今度改装するときは、古材なども使って、あえて古めかしい感じで、重厚で趣のある感じにできたらいいな、と思っています。買いに来るお客さんの層も変わってくるでしょうし、これまでのお客さんにも引き続き来てもらいながら、新しい層のお客さんも獲得できるような店の雰囲気をつくっていきたいと思います。

商売を語る会――馬場青年部長が語る鰻屋4代目のユメとキボウ(上)

 1月20日(金)、拡大推進委員会の企画「商売を語る会」が行われ、馬場商店(三条商店街、三条通猪熊東入る)の4代目、馬場雅規青年部長が語りました。馬場さんのお話の要旨を2回に分けて紹介します。
【馬場さんのお話要旨】

馬場商店の創業

 馬場商店の創業は正確には分かりません。今の馬場商店の場所で、もともと誰かが川魚屋をやっていた。私のひいおじいちゃんがそこで働いていたんですね。それで、ひいおじいちゃんがその店の場所に住所を移したのが明治41年だ、ということは分かっているので、一応、明治41年(1908年)を馬場商店の創業だということにしていいます。私で4代目になります。

スポーツに明け暮れた学生時代

 私は昭和48年(1973年)4月10日に生まれました。朱一保育園、乾小学校、中京中学校から花園高校に進学し、高校時代は円盤投げで全国インターハイに出場しました。その後、1992年に大阪体育学に進学しました。
 ちょうどその頃、1998年の長野オリンピックに向けボブスレーの選手を発掘しようという動きがあって、1年生の夏、ジュニア候補選手に選ばれました。大学生時代は、夏は円盤投げ、冬はボブスレーに明け暮れました。それで、ボブスレーの長野オリンピック代表予選では6位になりました。6位ならオリンピック代表に入れたはずなのですが、なぜか7位になった選手が繰り上がって代表に入ったんですね。後で聞いてみると、その7位の選手は有名大企業に就職が決まっていた。ボブスレーはとてもお金がかかるスポーツなので、大企業からの援助が欲しい。そういうウラがあって7位の選手が繰り上がったらしい。このことを聞いて、バカバカしくなってボブスレーをやめてしまいました。今から考えると、後悔は大きいですね。あのまま続けていれば、いずれは間違いなくオリンピック選手になれただろう。両親には色々と世話になって迷惑もかけたけれども「息子がオリンピック選手になった!」となれば鼻が高かっただろうに……と思いました。でも、両親は「ボブスレーは危険なスポーツ。死ななくて良かったじゃないか」といってくれましたが。
 その後、筑波大学の陸上の先生に目をつけられて、「お前は面白いからオレのそばにいろ」と声をかけてもらいました。高校、大学でたくさんお金を使ったので、これ以上親に迷惑をかけるのも……と思ったのですが、両親が「これも縁だからいっておいで」といってくれたので行くことにしました。それで1996年から2年間、筑波大学の研究生という待遇で、その先生のかばん持ちのようなことをしていました。

ケーキ屋で働く

 その後、1998年に京都に戻って、島津の子会社でアルバイトをしました。海外に輸出する製品を梱包する仕事です。
 そのアルバイトをしているときに、ある人から「ケーキ屋の店長にならないか?」と声をかけられ、2001年、洋菓子製造・販売の会社に入社することになりました。1日に100万円、年間で3億5000万円くらい売り上げている会社で、本当に忙しくて、午前6時から午後11時まで、ほとんど休みなく働き続けました。今から考えれば「超ブラック」な企業ですね。社会人の経験が全くなかったので、色々と怒られることも多かったです。2ヶ月くらいして社長がやってきて、「お前、アルバイトからの評判が悪いぞ」とかで「名古屋の本社でケーキづくりをしろ」といわれました。その頃はケーキをつくればつくっただけ売れた時代で、24時間体制でケーキの製造をしていました。チーズケーキを包装機に入れる工程で深夜のシフトを任され、午後4時くらいから一晩中働き続けて、毎月70万円くらいは給料をもらいました。労働時間からすれば本当は100万円くらいはもらえたはずなんですが。
 その後、京都の方で社員がみんなやめてしまったとかで京都の店に戻されたり、名古屋の店の店長をさせられたりしました。その名古屋の店は、誰が店長をやっても売り上げが落ち続けているといういわくつきの店で、私が店長のときもやっぱり売上が下り続けて、怒られ続けました。それでも、例えば「母の日」のようなイベント的な日――だいたい月1回くらいのペースであります――のときには、対前年比で110~120%くらいの売上をあげることができました。どうやったかというと、「母の日」のメッセージのプレートを、通常はお客さんからいわれなければつけないんですが、それを最初からつけておくようにしたんですね。バイトの人たちといっしょにチョコペンで「おかあさんありがとう」とか「愛してるよ」とか、色々な言葉を一生懸命書いて、ケーキにつけておきました。そんな工夫で売上を伸ばすことができたわけです。
 そんなことも含めて、ケーキ屋では色々な経験をしました。自分にとっての販売の「原点」というわけでもないですが、とにかくたくさんのケーキを売ったという経験が今にも生きていると感じることはありますね。まあ、社長にいわせると「お前が売っているんじゃない。店とケーキそのものが売っているんだ」ということでしたが。
                                          つづく